2018年06月21日

地震に備えて、二世帯の場合

月曜日の地震にはびっくりでしたが、幸い我が家はうまいぐあいに長男は通学で家を出る直前、次男は研修日で出る時間が遅かったため、家にいたので、無事でしたが、主人だけはいつもどおりの出勤で、電車がとまってしまい、立ち往生に巻き込まれるということになりました。
結局のところ、途中の駅でおろされ、17キロを徒歩で帰ってくるという荒業で、4時間かかったそうですが、自力で帰宅しました。
修行か!?

私の体感としては、阪神淡路のときよりも揺れは強くて、立っていられない状態でした。
被害としては、食器棚に適当に押し込んでした、湯飲みが2つ落ちて割れてしたこと、主人の趣味のガンプラが棚から落ちて破壊されたこと💦
その程度です。
慌てて1階の姑の様子を見にいきましたが、歩行器で歩いていました。
「大丈夫やよ、氷を食べよう思って」とのん気なもんです。

二世帯住宅の場合、やっぱり1階より2階のほうが揺れが大きかったと思われます。
地震がきたらどうするか?
日ごろから家族で話しておいたほうがいいですね。

姑は歩行器からベットに戻って座って余震に備え、様子をみてもらうようにしました。
2階では、子どもたちとリビングに集まって、テレビでニュースで情報を得て、主人とラインで安否確認、状況を報告し合いました。

我が家は1階にタンス部屋をつくって、そこにタンスを集結させて、2階は小さなウォーキングクローゼットをつくりつけにしたので、2階にタンスや背の高い棚はありません。
これはよかった。見た目にも部屋がすっきりしますし、寝ている和室にタンスを置きがちですが、寝ているときにタンスが倒れて下敷きになるなんて心配がありませんから。
唯一、長男と次男の部屋の仕切りに使っている本棚があるのですが、これにはポールで突っ張りをして転倒防止をしています。

IMG_20180621_135454_hdr.jpg
天井と本棚で2本突っ張っています。

本当に役に立っているのかは実証するすべがなく、わかりませんでしたが、今回これがしっかり機能したことが確認できました。
ぜひ、背の高い棚には突っ張りポールで転倒防止策をお勧めします❗

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・家族は安全な1つどころに集まること。
リビングが意外と落ちたり、倒れてくるものがないし、広々としてるので安全だなと思いました。
揺れがおさまるまでは、動き回らずしゃがんで待機。

・窓やドアなど逃げることができるスキマを開ける。
阪神淡路の地震のときには、家が大きく揺れることによって、ドアがずれて開かなくなり、家から出られなくなったという事象がありました。
余震がきて大きくずれる前に、ドアが開くか確認、逃げられるくらいのスキマを開けておくと安心です。
2階のベランダの窓を開けて見ましたが、異状なく、いざというときには、2階からでも逃げられるのでここを出口として確保しました。

・持ち出し非常袋の確認を。
先日何となく非常用袋をつくっていたのですが、何を入れていいかわからず、そのままに。
今は押入れになおしたままです。
この際、もう一度中身の確認と必要なものの補充をしたほうがいいと思いました。
水は3本ほど買い置きがありました。それと合わせて、玄関に置いておくのがいいのかなと思います。2階から逃げることになるかもしれないから、ベランダ窓周辺に1つ置くとして、2つつくっておいたほうがいいかも。

・姑の安否の確認。
揺れがおさまったら、私が下に行って「大丈夫ですか」と声をかけて様子を見にいきます。
日ごろは知らんぷりですが、こういったときには一緒に暮らしていて安心だと思っているようです。

・避難で家を離れる場合は、そこにいない家族に無事を知らせるメモを残す。
「留守です」とか「避難してます」と玄関に張ったりすると、それを見て空き巣が入る可能性があります。
我が家では家族だけがわかる場所にメモを残していくことを決めました。

実際避難するとかいうことになると、姑をどうするか、車を使うか、いろいろ考えたらパニックになりそうですが、日ごろは姑と私が家にいて、私が姑とともに行動することになります。
姑の命は私が守らないといけないという皮肉にも、重大な責任があります。
持ち出し袋はどこに置いてあって、誰が持ち出すか。
こういうときはこうするということを家族で決めて情報共有しておくことが大切です。

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posted by ぱせり at 09:23 | Comment(0) | 二世帯暮らしあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

姑のお赤飯の味は

長男の誕生日。
朝起きると階段(の下のほう)に恒例の「お赤飯」が置かれていた。
知っていたけれど、まあ後でとりにいけばいいわと、放置していたら、主人が下におりたついでに持って上がってきた。

何かいつもよりも色が赤いなー。

主人は姑をご機嫌伺いで映画に連れていった。
「終わった人」
親子そろって、あぶない刑事好きの舘ひろし好きなもので。
どーぞ、行ってらっしゃいと気持ちよく見送る。

私は、やっと仕事がきたもので、せっせと仕事。
きのう玄関でひっくりかえって両手に荷物を持っていたものだから、顔面から玄関の石だたみに直撃、顔面強打で、ヤフー知恵袋などを読むと、顔面は頭のうちに入るので、強打した場合は、吐き気やめまいなどにも様子をみる必要があると書いてあった。読めば読むほど不安になる。
晩御飯をつくる気もせず、吐き気はないか、めまいはしないか、気が気でなく、このまま死んでしまうのでは?と思うくらい痛い思いで夜を過ごしたので、仕事どころではなかった。
きょうは顔面がはれ上がっているが、ああ、生きているという喜び✨

子どもたちとお昼ご飯で、姑のお赤飯を出した。
いつものごとく、私は食べないけれど。

子どもたちのお茶碗によそって、しゃもじについたのを一口つまんでみた。

ん?
甘い、、、?

もう一口。

甘いぞ。

子どもたちにも食べさせる。

甘ーい!

となった。

次男は「これはスイーツ、おはぎか?」と言っている。

そもそも中に入っているあずきが甘い。
あんこでは?

映画から帰ってきた姑を玄関で出迎え、お赤飯のお礼とともに、「あれ、甘かったんですけど、合ってますか?」と聞いてみた。
「ああ、あれねー」

わかってたんだ。

よくよく聞けば、もともと買っていたあずきが小さくて見栄えが悪いから、缶詰のあずきを買ったら、甘く煮てあるやつだったとのこと。
まあ、いいやって感じでつくったらしい。
自分では味見してないので、「やっぱり甘かったかー」と言っていた。

田舎の味はこというのが普通なのか?てっきりボケたかと思ったが、そうではないみたいで、よかったのか、悪かったのか?
確信犯的ではあるが、子どものためにと思ってつくってくれたことには悪意はない。
味はともかく、気持ちやからと、、、どんな言いわけや💦

とても食べられる代物ではく、子どもたちもお父さんにあげるというので、主人にに食べてもらうことになった。
とうぞ、懐かしい母の味をご堪能ください<(_ _)>


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2018年06月08日

きょうもまた要らない気遣い

なんだそれ、自分勝手な気遣い。

きょうも透析の見送り。
予定時間よりも5分以上早く玄関でごそごそ靴を履こうとしている。
聞こえているから、下に降りていくけれど。

姑はつえをつきながら、不自由感を全面に押し出して、靴を履こうとしていた。
中途半端に手出しをすると、余計あぶないから、「まだ早いですけど、いいですか」と声をかける。
「待ってるのも暇やから、自分でやれることをやろうと思って。いつまでも世話になってばかりじゃあかんから。やらなきゃ」
こんなふうに書いてみると、とっても頑張っているお姑さんだと思われるだろうけれど、私には嫌味にしか聞こえない。
嫁さんは何もしてくれないから、あなたの世話にはなりませんよ、自分で何でもしないと誰も助けてくれませんから、、、そういうことを含んでいる。
私が素直じゃないのかもしれないけれど、一々が含みがあってかちんとくる。

外で一緒に迎えを待っていても「もういいから、一人でできるから中に入ってくれていいよ」という。
いつも同じことを言うけれど、この状況で姑を残して中に入れると思うのか?
どんな神経してるんですか。

タオルとか診察券だとかが入ったバッグは私が持っていて、いつも迎えに来てくれるドライバーさんに私が手渡す。
その前にドライバーさんは姑がこけたりしないようにに注意を払って、座るのを見届け、シートベルトをさせて、私からバッグを預かってドアをしめる。
「行ってまります」とドライバーさんの挨拶を受けて、私が「よろしくお願いします」と言って車が出るまで見送る。
私がいるから何かあったときの保障があって、ドライバーさんも安心できるし、私がたまに用事で出かけることがあっていないときは、きっとけがをさせてはいけないと責任を感じているだろうと思う。

全ては姑のために皆が動いている。
皆の見守りや手助けがあって、「自分でできること」があるのだ。

私を気遣っているつもりだろうけれど、勘違いしているのでは?
介護は自己満足だと言われる。そのとおりだと思うし、私も姑を助けることで満足しているところが大いにある。
だけど、介護されるほうも自分は頑張っている、人の助けがなくてもやっていけるという意地が介助する人との壁をつくっているのではないかと感じる。

介護されることを屈辱と感じたり、情けないと思ったり、それが意地になってしまうのかもしれないけれど、やってくれていることには「もういい」なんていう必要はない。
そもそも私たちの関係が変な気遣いをさせてしまっているのはわかっている。
でも、そこは、意地ではなくて素直に「ありがとう」でいいんじゃないの?


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posted by ぱせり at 10:03 | Comment(0) | 嫁姑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする