2019年07月22日

お参りしたけれど

家族の気ままに振り回される。6時前に起きたのに、誰も起きてこない。時間を間違っていたらしい。
この現状の理不尽さ、まだ寝れたーーーというくやしさを押し込めて、早起きは三文の徳と思い、今こうやってパソコンに向かっている私。
おお、ポジティブに考えられるようなってきた。

最近子どもたちの就職、進路についていろいろ考えるところがあり、何かヒントがほしいと「神社ノート」を読み返してみたり。
そうすると、何となくお参りがしたくなって、近くのお寺に行ってみることにした。
出る前は小雨から、ああ、雨が上がったかと思われたけれど、お寺の駐車場につくと本降りに。
「やんでいた雨が急に降り出す」というは神様(今回は聖天様ですが)に歓迎されていないらしい。

まあまあ、来ることに意味があるのだと進んでいく。
手水でお清めして、最初のお参りポイントで、お賽銭をいつもは10円のところ100円にしてお参りした。
ここには私しかいない。歓迎されているのか?
と思いきや、もう一つのお参りポイント、こちらのほうが重要なのだけれど、正面の鈴を鳴らすところにどーんと居座って無駄話をしているおばはんとおっさん。
本当の無駄話をしているだけ。
早くどきなさいよ!とイライラするけれど、話に夢中で全くどく気配なし。
気にせずに横からお邪魔しますよって素振りを見せて、鈴を鳴らし、お賽銭を入れてお参りするけれど、何だか話が気になるし、邪念がいっぱいできちんとお参りできなかった。
思い立った気持ちを大切にせっかく来たのに、こんな形で阻止されるなんて。
一言「どいてください」と言えばよかったのかもしれないけれど、それも何か違う気がして、結果的にもやもやする気持ちのまま帰ってきた。

ネットで調べたら、お参りするさきに人がさっといなくなったりすると歓迎されいるサインらしい。
今回はその真逆で、しかも私のお参りを断固阻止されいた。
邪念もいっぱいだった。
やはりインスピレーションは大切にしたいけれど、そもそも雨の日のお参りはよくなかったのかも。

あんまり気になるので、少し信仰心のある主人に聞いてみたところ、神様はお賽銭を払ってお参りする人をいつでもウエルカムで受け入れてくれると考えるらしい。拒否されるなんてことはないそうなので、そう思っておこう。
たまたまきょうがそうであっただけで、またいつでもどんなときでもお参りすればいいのだから。

後で「神社ノート」を読み返すと、賽銭箱の周りは人の祈願で空気がよどんでいるから、境内を歩いて空気のいいところを見つけて本殿の上空や山に向かって祈るといいらしい。(遥拝といいます)


不思議と自分のまわりにいいことが次々に起こる神社ノート [ 羽賀 ヒカル ]


ま、そんなことで、神様はおおらかなので、自分が行きたいと思ったときに行って、そのときの空気を感じとって、お参りをすればいいのです。

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posted by ぱせり at 07:48 | Comment(0) | 二世帯暮らしあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

姑という修行

先月食のボランティア養成講座を全回クリアして、食育ボランティア推進員の会に入ることかできる資格を得た。
ここで終わってもいいし、興味があれば、入会してボランティア活動をすることもできますよということで、終了後に勧誘があった。
会の役員さんの結構な迫力で勧誘を受けて、その場で断り切れず、自分自身も関心があったので、同じ講座を受けた知り合いの方と一緒に別日に見学をさせてもらうことにした。

その夜に主人に相談すると、「やめといたほうがいい、向いてないと思うで」と言われた。
私もそう思っていた。
先輩方が結構なお歳で、私たちなどこの歳でもひよっこ。
いつまでたっても下っ端から抜け出せそうにない。

子どもが育って、PTAやら子ども会の役員などややこしい人間関係から開放されたというのに、みずからまたややこしい輪に飛び込むなどということはあり得ない。

見学の約束してしまったので、とりあえず二週間後、「離乳食教室」に参加してみた。
私たちは本当のお客さんで、ボランティアのお手伝いをすることはない。
受け付けしたり、ぐずった赤ちゃんをあやしたり、試食を配ったり、洗い物をしたりするのが主な仕事のよう。
ぐずった赤ちゃんをお母さんが預けることはまずないなあと思った。
他人に預けるなんて恐いもの。
私も無責任に預かれない。

受け付けの後、多くの人はやることがなく、調理室の外で待っているようだったけれど、何もすることないだろうから、お話ししているのかなー。
もし自分がその一員だったらと考えるとぞっとする。
姑世代の人たちの中で、話すことなどない。
共通の話題がないもの。

後片づけの時間になって、じっとしているわけにもいかず、椅子を片づけたり、「ああ、やります」「洗います」と本当はやりたくもない洗い物をしたり、使った食器をなおしたり、物すごい気を遣ってしまった。

この感じ、、、この人たちといると姑といるみたいだ。
そう思った途端にボランティア熱は冷めてしまった。

「この後お時間あれば、残った材料でカレーとかつくって、皆で食べるので1時間ほどよかったら」と言われたけれど、絶対1時間で済むはずがない。おしゃべりに花が咲くと帰れない。
「入会は考えてまたご連絡させていただきます」と早々に私たちは退散させていただいた。

私の中で「やめときなさい」と警告が聞えた。

ボランティアって何だ?
時間を持て余した年配の方がするものなの?
誰かを助けるという自己満足?

この日は透析の日だったけれど、出迎えの時間に間に合わないから、おにぎりだけつくり置きして、姑に自分で鍵を開けて帰ってきてもらうように頼んで出てきた。
わざわざ外でこういう輪に加わるなんて、アホだ。
家では姑が待っている。
ほかの人を助けている場合ではない。
まずは姑のことをするのが私の使命なのだから。

ボランティアをする前に私はまだまだ姑という修行をせねば。

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posted by ぱせり at 09:00 | Comment(0) | 嫁姑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月13日

私、子離れできるか

長男の就活で悩む。
内定を持ちつつ、日程を引き延ばされた最終面接で「お祈りメール」となって、きのうは家族でどんよりとした気分になってしまった。
会社と縁がなかった、息子には運がなかったということであきらめるしかないのだけれど、引きずるわー。
早い段階で第一志望の会社の二次面接後にスルーとなり、もうどこでもいいと思って受けたところの内定が残って、結局そこにお世話になることになりそうなのだけれども、勤務地が東北の端っこほうで、関西から出たことのない我が家にとっては全くなじみがないので、親としては何だか心配しかない。
本人はもうそこしかないので、決めると言っているけれど。
そんな妥協で決めて大丈夫か?
長い人生だぞ。

「転職ありき」
転職が当たり前の時代だというけれど、そんな簡単にいくのなら、皆苦労して就活しないでしょう。
少しでも希望に沿った、納得できる就職先を探すためにスーツ着て、汗かいて、就活するんでしょうが。

でも残ったのが、そんなに希望でもなく、勤務地が800キロ以上離れた場所で、単身で、知らない土地で。
寮から勤務場所までは車がいるらしいし、山奥だぞ、雪が降るぞ、周りに何もないぞ。

それでも行くと決めたなら、親は頑張れと送り出してやるしかない。

遂に私の手元を離れるときが来たのか。
勤務地が変わらない限り、もう一生こちらで暮らすことはないかもしれない。
本当は心配だし、関西圏に幾らでも働くところはあるのに、どうしてわざわざ地方勤務なの、行くなーと言いたいけれど、もう手放さなくてはいけないのだ。
そう、きのうからずっと自分に言い聞かせている。

でも、主人のほうが私以上に落ち込んでいる。
私のことをいつも「子どもを構い過ぎ」と言っているけれど、あなたのほうがずっと溺愛していますよ。
姑のことをとやかく言っていないで、私たちも子離れしないとね。

寂しいけれど。
ラベル:子離れ 就活

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posted by ぱせり at 14:22 | Comment(0) | 二世帯暮らしあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする