2019年07月14日

姑という修行

先月食のボランティア養成講座を全回クリアして、食育ボランティア推進員の会に入ることかできる資格を得た。
ここで終わってもいいし、興味があれば、入会してボランティア活動をすることもできますよということで、終了後に勧誘があった。
会の役員さんの結構な迫力で勧誘を受けて、その場で断り切れず、自分自身も関心があったので、同じ講座を受けた知り合いの方と一緒に別日に見学をさせてもらうことにした。

その夜に主人に相談すると、「やめといたほうがいい、向いてないと思うで」と言われた。
私もそう思っていた。
先輩方が結構なお歳で、私たちなどこの歳でもひよっこ。
いつまでたっても下っ端から抜け出せそうにない。

子どもが育って、PTAやら子ども会の役員などややこしい人間関係から開放されたというのに、みずからまたややこしい輪に飛び込むなどということはあり得ない。

見学の約束してしまったので、とりあえず二週間後、「離乳食教室」に参加してみた。
私たちは本当のお客さんで、ボランティアのお手伝いをすることはない。
受け付けしたり、ぐずった赤ちゃんをあやしたり、試食を配ったり、洗い物をしたりするのが主な仕事のよう。
ぐずった赤ちゃんをお母さんが預けることはまずないなあと思った。
他人に預けるなんて恐いもの。
私も無責任に預かれない。

受け付けの後、多くの人はやることがなく、調理室の外で待っているようだったけれど、何もすることないだろうから、お話ししているのかなー。
もし自分がその一員だったらと考えるとぞっとする。
姑世代の人たちの中で、話すことなどない。
共通の話題がないもの。

後片づけの時間になって、じっとしているわけにもいかず、椅子を片づけたり、「ああ、やります」「洗います」と本当はやりたくもない洗い物をしたり、使った食器をなおしたり、物すごい気を遣ってしまった。

この感じ、、、この人たちといると姑といるみたいだ。
そう思った途端にボランティア熱は冷めてしまった。

「この後お時間あれば、残った材料でカレーとかつくって、皆で食べるので1時間ほどよかったら」と言われたけれど、絶対1時間で済むはずがない。おしゃべりに花が咲くと帰れない。
「入会は考えてまたご連絡させていただきます」と早々に私たちは退散させていただいた。

私の中で「やめときなさい」と警告が聞えた。

ボランティアって何だ?
時間を持て余した年配の方がするものなの?
誰かを助けるという自己満足?

この日は透析の日だったけれど、出迎えの時間に間に合わないから、おにぎりだけつくり置きして、姑に自分で鍵を開けて帰ってきてもらうように頼んで出てきた。
わざわざ外でこういう輪に加わるなんて、アホだ。
家では姑が待っている。
ほかの人を助けている場合ではない。
まずは姑のことをするのが私の使命なのだから。

ボランティアをする前に私はまだまだ姑という修行をせねば。

スポンサーリンク

posted by ぱせり at 09:00 | Comment(0) | 嫁姑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: