2020年11月26日

姑が死ぬか生きるかというときに嫁が最初に考えることは

姑が救急車で運ばれてから3日がたちました。
次の日にはリハビリにも行き、当然しんどさはあるんだとは思いますが、復活してます。
お年寄りであるにも関わらず、姑の生命力の強さには驚きです。

姑はこの世でまだまだやるべき使命があるのか、それが試練なのか、罰なのか?
はたまた私たちへの試練なのか、罰なのか?
それとも姑が生きることで、この家のローンの支払いを助けてくれる幸運の女神なのか?
何かは分からないけれど、神様はまだそのときではないと告げているのでしょう。

生と死はまさに紙一重。
それを実感した日でした。

もしあと10分救急車を呼ぶのが遅れていたら、姑の命は途絶えていたかもしれません。
それぐらい逼迫した状態だったところで、私たちが一緒に住んでいたこと、祝日で夫がいたこと、夫が透析の先生に緊急で電話をして指示を仰ぎ、すぐに救急を呼ぶ判断をしたこと、透析患者だったので府内の病院の受入れができず、府外のかかりつけ病院への搬送が可能だったこと、病院の当直に偉い先生がいたこと、当日が透析の日で処置後にすぐに私たちが車で透析病院に運ぶことができたこと、、などいいタイミングが重なって、姑は生きるほう世界に戻ってくることができました。
それでも私に会っての第一声は「なかなか死なしてもらえんね、死ぬのも大変や」でした。
対応してくれた看護師さんや、早朝からてんてこまいしている私たちを前に不謹慎だとは思い、そのときはあほか、、、と心の中ではムッとしましたが、それも本音なのかもしれません。

86歳、生きるも死ぬも簡単なことではないのかもしないけれど、まだまだ終わらさないぞという神様のお告げなのか?私たちの暮らしを維持するためにはもうちょっと頑張ってもらったほうがありがたいような気がします。

救急車の隊員の人から「心不全」という言葉を聞いて、ああ、もう終わったかもと単純に思ってしまいました。
後で聞くと、夫も今度ばかりはもうあかんかもと思ったそうです。

姑が運ばれた後、まず頭に浮かんだことは、「お葬式どうするか、お金はあるのか?大学生の次男の喪服ないやん、地方勤務の長男は呼び戻す?コロナでお葬式ってどうなるの?」そんなことばかりでした。
悲しみとかより、段取りの心配。夫は多分それどろではないので、私が手配しないといけないと思い、以前に早期申込をしていた「小さなお葬式」のパンフレットを引っ張り出して、久々にまじまじと内容を確認しました。
お葬式はどのタイプを選択すればいいか、追加料金はかかるのか、お坊さんには幾ら払うのか?
Q&Aなども読んで理解して、ああ、遺影の写真あるんかなと、、、。

昼前には夫から連絡があり、大事には至らなかったという話で、あれこれ焦って悩んだ時間は徒労となったわけですが、改めていろいろ確認しておかないといけないことを確認できたのはよかったかもしれません。
特に次男の喪服がないことは問題です。これまでは制服があるから考えもしなかったけれども、黒いスーツすらないし、こういうのは後回しにしがちだけれど、何事もないときに準備はしておくべきだと思います。
この際だから、もう来週にでも用意するつもりです。

この何とも言えない模擬体験のおかげで心の準備が少しできたような気がします。
それも姑の思うとおりだったのか?私たちはうまいように操られているのかもしれません。
恐るべき姑の力よ。

posted by ぱせり at 10:30| Comment(0) | 二世帯暮らしあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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